我が国の憲法には今の国のあり方からすれば理想としか言えない条文がある。
日本国憲法第25条(生存権,国の義務)
(1)すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 (2)国は,すべての生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
多くの日本人の意識としては成功者が豪邸に住み、失敗した人間がブルーシートに住むのはあたりまえという感覚が一般的であるかと思う。報道のあり方としてはあまりにも政府べったりのテレビ朝日ではあるが残念ながら最終回を迎えてしまった「大改造!!劇的ビフォーアフター」をリポートする。
世の中にはとんでもない家々が存在する。 ・押入がベッド ・トイレが玄関 ・幅60cmの廊下 ・幅20cmのベランダ ・階段を降りたところは押入 ・3畳の台所にユニットバス
これらの信じられない家々を建築士の匠が素晴らしい家へとリフォームしていった。1000万円ほどの資金で地獄から天国を創造するのだ。どんなに悪条件があっても匠の知恵がそれらを克服してきた。5000万円以上もする耐震偽装マンションを買うことに比べたら、如何に賢い使い方であろうか?1000万円のぼろ家もプラス1000万円をかけることで素晴らしい家に変身するのだ。

最終回に登場したのは東京杉並区、地下鉄東高円寺駅の近く、主要幹線が交差する三角の敷地に立つ築40年、建坪わずか8坪という狭小住宅である。商店街の入り口にあたる場所にて大正時代から続く「鶏肉と惣菜」のお店を継いで40年、現在76歳になるF氏が今回の依頼主である。

奥さんとのふたり暮らしではあるが一階が店舗で二階が住居ということ、しかも三角の敷地ということで非常に使いにくく危険が一杯の建物となっている。三角の頂点部分の鋭角は18度で調理場の通路の狭いところはわずか40cm。頂点部分の壁は1mという狭さである。二階には台所もなく、一階の調理場で作った料理を鍋ごと傾斜65度の急階段を登って運び、卓上コンロで暖め直す。風呂はなく片道20分のところにある銭湯に通う毎日とのことである。収納などは無きに等しく、靴は階段に、布団はしまうところがなく、部屋にたたんだままというありさまである。二階の頂点部分の2畳には4つのタンスが置かれているものの花嫁ダンスのひとつは引き出しも開けられない。

ただでさえ狭い上に三角の敷地に建つ家ということで居住性などはまったく考えられていない住宅であった。この住宅に匠が取り入れた試みはその形状を最大限生かし、採光、防音という従来にはなかった快適な居住性を取り入れるということであった。

65度という階段は急過ぎるとは言ってもそれを緩くすることはスペースの削減に繋がってしまう。そこで匠が試みたことは一階の頂点部分を二階の住居の玄関として一階床より高い位置に設け、外階段でそこへ行けるようにし、その結果として住居内の階段スペースを最小のものにしたのである。しかも階段の天井にあたる部分に住居用のシステムキッチンをあつらえ、小型のIHクッキングヒーターをその中に取り込んだのである。

住居部分の東側と西側には窓があるもののほとんど日が射す時のなかった住まい。ここに匠は屋上に新たに塔屋を設け南側からの太陽の日差しを住居に取り込むようにしたのである。しかも季節ごとの太陽の照射角度に応じて可動式の反射板を設け、もっとも多くの太陽光を部屋に取り入れるようにしたのである。

以前には断熱材などまったく入っていなかった壁に「セルローズファイバー」という古紙を特殊技術で繊維化した吸音性にも優れ再生断熱材で防燃処理が施され延焼も防ぐ、最新式の断熱材が取り入れられたのです。特に東側は環七という交通量の多い幹線であるため、その効果は絶大であろうことが容易に察せられます。

こういう過小住宅でしかも変形敷地の建物の場合、既成の家具では使い勝手がよくないものであるが今回も変形敷地に合わせた収納棚を設け、開かずの嫁入りタンスも加工して再生したり、普段ふたり用のダイニングテーブルを4人用にも使えるように工夫がなされている。一階の店舗も基本的には立ち飲みスタイルではあるがお年寄りのためにカウンターが椅子用のテーブルに変身するという仕掛けも施されたのである。

最悪だった二階の居住空間に待望のお風呂が設置されたのは言うまでもないことである。しかもすべりにくく保温性に優れた特殊なタイルの床材とひのきの壁材が香る浴室である。
以下、4年前に書いた「幸福の経済」からの抜粋を載せます。
今の社会では家は生活の場であるのは当然ですが、片や富の象徴のような存在という側面も持っているように思います。すなわち成功した人間はそれにふさわしい豪邸を手に入れることができるが、失敗した人間はねずみ部屋かダンボールでの生活を余儀なくされるという図式で、戦国の世とあまり変わりばえのしない残酷な発想であり、そこには個々人の成長・進化をもたらすための生活の場という発想が欠落していますし、土地を私有するという発想には人間の自然へのおごりが明らかに存在します。現在の土地の区画を見ていますと計画性がまるでなく、複雑に入り組んでいたりするのはエゴによって土地を奪い合ったことのなごりのように思います。計画された分譲地においても道を挟んで玄関と玄関が向き合うかたちが一般的であり、太陽を無視したかのような土地区画になっており、自然ではありません。
日本の憲法には「最低限の文化的な生活云々」という条文があったと思いますが、どうもそれが現実に適用されているとはとても思えません。人々の集合意識が向上すれば誰でも快適な家に住むことが人間として当然のことであり、それを地域のコミュニティが、なによりも優先的に支え、保証するという社会こそ、これからの常識になると思います。そうなれば私有などという観念もしだいに意味をなくしていくように思います。私有にとらわれた現代人は人よりも大きな家に住むことに血道をあげ、家のまわりにまるで城のごとき塀を作っているわけですが、そういった家は、恥ずかしいと思われるようになるように思います。
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