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※現在56歳の万年ロックおじさんです。写真はかつらぶっています。元過激派高校生です。福田自民党に断固反対する庶民派です。新自由主義に反対するプロジェクト、Under the Sunを応援します!
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新自由主義が荒れ狂い、愚かなる既存メディアが大本営発表しかしない現代日本。ややこしく見える問題を根元的な視点で簡単に説明し、あるべき未来の姿を問い続けます!

安倍晋三は平成の井伊直弼である!

2006-08-12 17:26

山口県人よ目を覚ませ!



テレビのニュースで見たくないものを見てしまった。胸が悪くなったためか今日のタイトルを思いついた。

自民総裁選:安倍氏、事実上の出馬表明 地元・山口で
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060812k0000e010010000c.htmlより

安倍晋三官房長官(51)は12日午前、地元・山口県下関市で開かれた後援会など主催の支援集会で「しっかりと志を持って頑張っていきたい。9月の早い時期にはこの志、思いをしっかりと国民に説明したい」と明言、9月の自民党総裁選への出馬を事実上表明した。安倍氏は来月1日に正式に出馬会見を行い、社会的な格差を固定しないための「再チャレンジ支援策」などを盛り込んだ政権構想を発表する。



そう言えばBLOG BLUESさんがうまいこと書いていた。

http://blogblues.exblog.jp/4109012より
「この国のために命を捨てる」って晋三クン、きみは岩清水か!というツッコミもむなしいよ。きみを抹殺、失脚できる勢力は米国だけですゥ。きみが米国に尻尾を振ってる限り、きみの肉体的生命も、政治的生命も、100%安全なんですゥ。

こと程左様、純一郎クンもそうだったが、後継者の晋三クンの言葉も、軽いなんてもんじゃない。空っぽ、なのである。

「国のために命を捨てる」なんて啖呵は、冗談誇張でなく、自国の軍事クーデターや国際諜報機関による暗殺の危険に晒されながら、それでもなお、国民国家のため主義主張を貫く、たとえば、ベネズエラのチャベスにして、初めて口にし得る、言葉なのだ。



世の中には歴史をあまり知らない人がけっこう居るので簡単に整理しておこう。まずは登場人物の紹介といこう。


吉田松陰吉田松陰
天保元年|8月4日(1830年9月20日)、長門国萩松本村(山口県萩市椿東椎原)に家禄26石の萩藩士杉百合之助、瀧の次男としてうまれ、幼くして山鹿流兵学師範(家禄57石)である叔父・吉田大助の死後養子となり吉田家を相続する。

1854年、ペリーが日米和親条約締結のため再航した際にも門弟と二人でポーハタン号へ赴き密航を訴えるが拒否されている。幕府に自首をし、長州藩へ檻送され野山獄に幽囚される。

1855年生家で預かりの身となるが、家族の薦めにより講義をおこなう。その後、叔父の玉木文之進が開いていた私塾松下村塾を引き受けて主宰者となり、木戸孝允、高杉晋作をはじめ久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠など維新の指導者となる人材を教える。

1858年(安政5年)幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと松陰は激しくこれを非難、老中の間部詮勝の暗殺を企てた。長州藩は警戒して再び松陰を投獄した。

1859年(安政6年)幕府は安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令する。松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、同年、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される、享年29。獄中にて遺書として門弟たちにむけて「留魂録」を書き残す。

高杉晋作高杉 晋作(たかすぎ しんさく、天保10年8月20日(1839年9月27日) - 慶応3年4月14日(1867年5月17日))は、江戸時代後期、幕末の長州藩の政治家。奇兵隊など諸隊を創設し、幕末長州藩を倒幕に方向付けた。諱は春風。通称は晋作、東一、和助。字は暢夫。号は東行。 正四位。幕府の長州征伐が迫る中、長州藩では俗論派が台頭し、10月には福岡へ逃れる。平尾山荘に匿われた後、下関へ帰還。12月には奇兵隊ら長州藩諸隊を率いて功山寺で挙兵、65年には俗論派の首魁椋梨藤太らを排斥して藩論を統一する。さらに土佐藩の坂本龍馬を仲介とした薩摩藩との軍事同盟である薩長盟約を結ぶ。3月には海外渡航を試みて長崎でイギリス商人グラバーと接触するが、反対される。4月には四国へ逃れ、日柳燕石を頼る。6月に帰郷。

66年には伊藤俊介(伊藤博文)とともに薩摩行きを命じられ、長崎で丙寅丸(オテントサマ丸)を購入。第二次長州征伐(四境戦争)では海軍総督として、幕府艦隊を退け周防大島を奪還。小倉方面の戦闘指揮では幕府配下の九州諸藩軍を小倉城から撤退に追込んだ。直後に肺結核のため桜山で療養し、商家の林算九郎邸で死去、享年27。なお、靖国神社に祀られている。


久坂玄瑞久坂 玄瑞(くさか げんずい、天保11年(1840年) - 元治元年7月19日(1864年8月20日))は、幕末期の政治家。 萩藩(長州藩)藩士。幼名は秀三郎、名は通武、通称は誠、義助。妻は吉田松陰の妹文。長州藩における尊皇攘夷派の中心人物。贈正四位。元治元年(1864年)6月池田屋事件の悲報が国許に伝わると藩内で京都進発の論議が沸騰したため、来島又兵衛や真木和泉らと諸隊を率いて東上。真木和泉らと共に堺町御門で戦ったが(禁門の変または蛤御門の変)、負傷して寺島忠三郎と共に鷹司邸内で自刃した。享年25。

伊藤博文伊藤 博文(いとう ひろぶみ、天保12年9月2日(1841年10月16日) - 明治42年(1909年)10月26日)は日本の政治家。明治憲法の起草に関わり、初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長・韓国統監府統監・貴族院議長・兵庫県知事を務めた。立憲政友会を結成。元老 従一位 大勲位 公爵。幼名は利助、のち俊輔(春輔、舜輔)とも称した。

井上馨井上 馨(いのうえ かおる、天保6年11月28日(1836年1月16日) - 大正4年(1915年)9月1日)は、幕末および明治時代に活躍した人物。幼名勇吉、藩主から拝受した名前は「聞多」。諱は惟精(これきよ)。大隈重信内閣で外務大臣、農商務大臣を務め、第二次伊藤博文内閣では内務大臣。従一位 勲一等旭日桐花大綬章 大勲位菊花大綬章、伯爵、元老。

井伊直弼井伊 直弼(いい なおすけ、文化12年10月29日(1815年11月29日) - 安政7年3月3日(1860年3月24日))は、江戸時代の彦根藩藩主、幕府大老である。官位は正四位上左近衛権中将掃部頭。鉄之介。彦根藩第11代藩主井伊直中の14男。第13代将軍徳川家定時代の安政5年(1858年)より江戸幕府の大老を務めた。孝明天皇の勅許無しでアメリカと日米修好通商条約を独断で調印する。尊皇攘夷派が活動する騒擾の世中にあって、強権をもって治安を回復しようとした。病弱な将軍家定の後継問題では紀州慶福(徳川家茂)派で、一橋慶喜(徳川慶喜)を推薦する水戸徳川家の徳川斉昭や松平慶永らを蟄居させる。故に尊王志士達から憎まれ、彦根藩祖直政同様に「井伊の赤鬼」といわれた(直政の場合は畏敬の念があったが、こちらは憎しみのあまりである。また、直弼を指す隠語として「赤鬼」という語を用いる場合が多い)。安政6年(1859年)、正四位上に叙せられる。

老中間部詮勝らとともに安政の大獄により多数の志士(活動家)を粛清し、安政7年3月3日(1860年3月24日)に水戸藩浪士により、江戸城桜田門付近で暗殺された(桜田門外の変)。



江戸時代は徳川の鎖国政策で諸外国との取引は長崎の出島に限定されていた。それを破ったのがペルー率いる黒船アメリカ。欧米列強がアジアに侵攻し、植民地とする動きがあった中で下級武士を中心としてそれら外国勢と対抗する尊皇攘夷の運動が各地で起こる。アメリカとの通商条約を独断で調印し、多数の志士を粛正したのが幕府大老であった井伊直弼であった。後に維新の元勲となる長州の下級武士は吉田松陰が教える松下村塾の塾生であった。その塾生の中でももっとも松蔭に愛されたのが久坂玄瑞と高杉晋作であった。久坂玄瑞は禁門の変で自刃する。後に年は離れているものの俊輔、聞多と呼び合った後の伊藤博文、井上馨はイギリスに留学することになる。このあたりのことを「昭和史の警告」の中で副島隆彦氏が書いておられる。

この中では久坂は本物の尊皇攘夷主義者で、後はニセモノの尊攘派になっていった連中です。高杉、伊藤、井上たちは、この前後にイギリスの手先になっています。というのは、公使館襲撃をしたわずか5ケ月後には、伊藤と井上は何とロンドンに向けて旅立っているのです。おかしいでしょう。脱藩しただけで死刑の時代に渡英などと、ふつうではできません。大きな裏があります。しかも5人の旅費は合計で1万両、現在の金額に換算すれば約10億円です。この旅費を長州藩に代わって立て替えたのがグラバーでした。つまり、尊皇攘夷思想によるイギリス公使館焼き討ちなんて真っ赤なウソで、イギリスとその手先になった高杉たちによる、幕府への揺さぶりと世情騒乱のためのヤラセだったのです。



私は司馬遼太郎の本をかなり読んでいる。それで坂本龍馬や高杉晋作は歴史上の人物ではかなり好きであった。だが残念なことに副島氏の本を読んで司馬史観というものが作られるべくして作られたものであったことを知った。当時からイギリスのロスチャイルドやアメリカのロックフェラーという勢力が日本に触手を伸ばしていたのである。副島氏によると戦前の政党である政友会は三井財閥(ロスチャイルド)系であり、民政党は三菱財閥(ロックフェラー)系だったという。歴史には必ずこれらの影の勢力が大きな影響を与えている。現代においても外交というのは単に国と国との利害を超えたものがある。そのあたりをきちんと理解していないと「テポドン」にキイキイ反応するだけなのだ。
すくなくともhttp://www001.upp.so-net.ne.jp/apocalypse2012/crushingJapan.htmlはぜひ読んで欲しい。北朝鮮がどういう役割を果たしているかについてはhttp://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/tyk.htmを読んで欲しい。ぎょえ〜!私の「魔のトライアングル」が使われている!

ここまで読んでいただいた人は気づかれているかと思う。安倍晋三は吉田松陰を尊敬しているというがこれからやろうとすることはどう考えても井伊直弼がやったことと同じで美国=アメリカに追随し、反対者をことごとく粛正するだろう。NHKへの圧力、TBSへの異常な反応を見ていると明白である。

歴史を単純に比較できるものではないが以下の表は2年半ほどまえに私のホームページで発表したものである。http://henrry.net/weeklytalking5.htm#bakumatsu

  幕末の出来事   現代の出来事
1853 ペリー来航 1993 細川内閣発足
1855 安政大地震 1995 阪神大震災
1858 安政の大獄 1998 小渕内閣発足
1860 桜田門外の変 2000 森内閣発足
1862 寺田屋事件 2002 アフガン戦争
1863 長州攘夷の決行 2003 イラク戦争 有事法制可決
1864 禁門の変 2004 インドネシア・スマトラ沖で大地震発生15万人死亡
1866 薩長同盟 第2次征長 2006 安倍晋三内閣成立か?
1867 大政奉還 王政復古 2007  
1868 戊申戦争 明治へ改元 2008  
1877 不満武士の反乱 2017  


桜田門外の変



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