日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか〜
最近のNHKスペシャルは非常に見応えのある番組が多い。前回の「満蒙開拓団はこうして送られた 」もほとんど知らないことばかりであったが今回も知らないことが多かった。というか私は日中戦争についてほとんど何も知らなかったようなものだ。戦後、東京裁判において南京虐殺がでっちあげられたものであるというのは根拠があるとは思うがだからと言って全くなかったなどとはとても思えない。いよいよ明日は終戦記念日であり、問題のあのお方が多分、参拝し、内外ともに大問題を引き起こすであろう。なぜか今日の東京での停電はなんとなくヤラセのような気がしてならない。一度の切断で気づかず二度も切断してしまうようなことが単なる事故なのであろうか?
http://www.nhk.or.jp/special/onair/060813.htmlより
1937年、盧溝橋(ろこうきょう)事件に始まった日中戦争。戦闘は8年間にわたり、日中双方におびただしい犠牲をもたらした。そしてこの戦いを通じて日本は英米との関係を悪化させ、太平洋戦争への道を突き進んでいく。日中戦争はなぜ拡大したのだろうか・・・。
その背景を物語る重要な資料が公開された。当時、中国国民政府を率いた蒋介石の日記である。この日記から浮かび上がる蒋介石の意図。それは日中戦争を世界戦争へと連動させ、米ソの力で日本軍を倒すという長期的な構想である。
蒋介石は戦前からドイツ軍事顧問団によって軍を近代化し、最新兵器による軍備を進めていた。さらに戦争が始まると、国際社会の注目が集まる上海近辺に精鋭部隊を派遣。英米の経済制裁やソビエトの参戦によって戦局の好転をはかろうとした。
これに対し、日本政府は国際社会の批判を避けるため、不拡大方針を掲げたにも関わらず、なしくずし的に全面戦争に突入してしまった。その背景には、蒋介石政権を弱小と見て、「一撃で倒せる」と考えた日本軍の誤った状況認識があった。出先の軍を率いる司令官らは満州事変の経験から中国の力を過小評価し、独断で首都南京攻略へと進軍。日本政府もこれを追認してしまったのである。
中国の真意と力を読み違えた日本。それは泥沼の日中戦争から太平洋戦争という破局をもたらした。初公開の資料から、日中戦争を日中だけでなく、アメリカ、ドイツも含めた国際的な視野からとらえ直す。そして日中戦争がなぜ拡大したのかを明らかにしていく。
この番組については「とむ丸の夢」の「日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか」に詳しく書かれている。この番組で私が一番興味を持ったことは以下にまとめられている。
日本は、国際法上の戦争にはしたくない、という気持を持っていた。
戦争になると、「中立法」が存在するアメリカから、武器調達ができなくなることを恐れたためであり、ついに日本は、中国に対して宣戦布告をすることがなかった。 (中略) 12月7日、防衛軍10万を残して蒋介石は南京を出る。
10日、日本軍南京への総攻撃を開始。司令長官が逃亡したため、残った中国軍は大混乱に陥り、3日後に陥落。
民間人の服に着替えた中国兵が南京城内に潜んでいると考えた日本軍は、「老人と幼児以外のすべての男子を逮捕・監禁すべし」という城内掃討の命令を出す。
当時国際社会の管理下にあった難民区内も作戦の対象になった。
日本は、捕虜の人道的扱いを求めるハーグ陸戦法規を批准していたが、宣戦布告のない日中戦争において、この法規をことごとく適用するのは適当ではないとし、また「捕虜」という名称はつとめて使用を避けよ、と命令。
皇族も含めた南京入場記念式典を2日後に控えて、歩兵第7連隊に掃討命令が出されたが、この時はもはや「逮捕・監禁」ではなく、「捕捉・殲滅」命令で、作戦は12日間にわたって続いた。公式記録では6,670人が殺されたことになっている。
12月16日、若者を5人位ずつ縛って揚子江に連行し銃殺したと、92歳の元兵士は証言した。
宣戦布告していなかったから国際法上の戦争ではなく、だから難民区内も作戦の対象になったということだったのですね。今まで南京虐殺についてのページはいくつか見ているがこんなことを知ったのははじめてでした。如何に私たちが歴史を知らないということを直視しなければなりません。正確な歴史認識なしで靖国を云々することはできないと思います。
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