1.プレカリアートの反攻
※あれあれ!瑞穂さんも居たのですね。ご苦労さまです!
「自由と生存のメーデー'07」プレカリアートの反攻 に行ってきた。寮にてお昼を食べてからの参加なので集会には参加することはできなかったが、デモの様子を見ることはできた。会場入り口にはまたしても大量の公安警察のポチどもがうようよ。こいつらは集会の参加者に対する恫喝が主たる任務だと思うのだが正規職員として普段は何をやっているのだろうか?また100人くらいは居ると見えたが、それぞれ別の分担を与えられているのだろうか?5月1日の朝日新聞によると420人の参加だったということだが、それだけの参加者に対して100人ほどの公安が一体何を調べると言うのでしょう?今の酷い政治に対して数十万のデモがあってもなんら不思議はないのですが、たった420人ほどのデモに対して100人もの公安を動員し、多くの税金を投入していることに憤りを感じた。去年のデモでは3名が不当逮捕され、その反発がより大きなうねりを生み出している。警備にあたる警察は普通の制服であるが良く見れば機動隊であり、透明な楯を持っている。国会前などの集会では通行人の邪魔にならないことを規制の理由としているが、歩行者をデモ隊から守るのが規制の理由らしい?なんのことはない。デモに共感した歩行者がデモに加わることを規制しているのだ。よほど上からきつく指示されているようであちこちで参加者から反発を受けている。新大久保駅の近くのマクドナルドでは「マックは時給を上げろ!」「マック難民をおいだすな!」のシュプレヒコールに店員のスタッフが手を振って応えている。
ビートの効いた音楽に合わせて、従来の左翼デモとは違うシュプレヒコールが叫ばれる。「生きられる世の中にしろ!」「派遣会社はピンハネをやめろ!」「ソフトバンクは携帯を止めるな、殺す気か」「メディアは娯楽でごまかすな!」「貧困は我々のせいじゃない」などなど。新宿に近づくと見ている観客も多くなり、同じような境遇にある多くの若者がエールを送っている。彼らにとっては国民投票法案のことはピンと来なくても、自分たちの生活に直結する問題だけに共感を感じているようである。
歩行者に配られているチラシを読んでみた。「▽ただいま通過中!非正規雇用者のメーデーでデモれ!」「孤立への自立を拒み、連帯の中に自律を求めよ」がタイトル。昔の東大全共闘のスローガンを思い起こさせるようである。メッセージを読んでみると、「政府は問題を機会の不足へと矮小化し、格差と貧困の責任を私たちの就業能力、起業能力の欠如に還元しようとしている。その帰結は、生存を自立競争の勝利者への褒賞に変えることに他ならない。」という具合。もっともなのですがちょっとインテリ的だと思う。山谷のホームレスのおっちゃんも居るのだからもっと解りやすい表現が欲しい。「プレカリアート」という言葉も「エグゼンプション」と同じで決して馴染まれない言葉だと思う。
「貧しさはひとりひとりのせいじゃない!嘘っぱちの改革を大きな団結で打ち砕き、人間らしい生活を取り戻そう!」 「政府の改革の名によるアメリカの植民地化政策こそが、私たちが現在かかえている貧しさの原因です。政府は多くの国民の生活を守る義務を放棄し、その生活を破壊することで大企業や金持ちにより大きな富をもたらしているのです。責任を果たしていないのは政治家であって、我々には責任を問われる前に正当な労働条件で働く権利があるのです。」 できれば文章だけではなく、イラストや漫画や音楽で表現したいものです。
2.体制擁護のインテリ漫画家に騙されるな!
新ゴーマニズム宣言11「テロリアンナイト」を図書館で借りてざっと目を通した。作者のよしりんこと小林よしのりは私より2歳下である。まあ世間的には「おじん」なのですが、おつむor感性の足りない子供(※おつむor感性の足りない中年も居るようだ)におそろしく偏った歴史観を植え付けている。おじんとは言ってもなかなかのヤサ男で、表紙に自分のイラストを載せていることからナルシストの気があるように感じられます。歴史は常に勝者によって作られるという観点はもっともであり、単純にアメリカによって成された戦後処理が全て正しいものとは言えないだろう。その点については異論はない。かと言って日本軍が全て正しかったなどと言えるものでは断じてない。同じく図書館で借りた「戦争と差別と日本民衆の歴史:久保井規夫」という本がある。ざっと眺めたが、細かく読む気にはならない。はっきりしているのはそれら日本軍による残虐行為は歴史的な事実だということである。それを事実だと認識できないのは祖国=正義だと思いたいと願う、間違った願望の成せるわざだと私は確信している。何故、そのような願望を持ちたいのかが私には理解できない。多くのおつむor感性の足りないよしりんファンが何十万部もの漫画を買っているのでよしりんは立派に自立しているのでしょうが、それだけではないだろう。おそらく司馬遼太郎がそうであったように、その背後には強力なパトロンが居るのだろう。あまりにも露骨に狂信的扇動をするよしりんの姿に共感する読者というのはやはり心と神経が深く冒されているように感じるのは私だけでしょうか?
新ゴーマニズム宣言11「テロリアンナイト」より引用 仕方がないからでは教えておいてやろう。一つには・・・「つくる会」の教科書は実はもっとも情報量が多い、ということを言っておく。そして歴史事項の羅列にしかなっていない今までの教科書は、歴史の流れ、ストーリーがわからないから、ただ事項の丸暗記をするしかなかった。中略 しかし、この「新しい教科書」はストーリーがわかるように書こうと努力している。歴史をストーリーで覚えるから歴史事項の意味がわかりやすい。意味のわかる歴史事項の暗記の方が苦労しない。したがって受験には「新しい教科書」の方が有利なのである!」
こんな馬鹿馬鹿しい文章を見て「そうだ!そうだ!」などと思うのはよほどおつむor感性の程度が低い人間でしかない。ストーリーさえあれば良いと言っているわけで勝利者による間違ったストーリーでも歴史の事実だと認識させようとしているのだ。みんなが間違ったストーリーを覚えてしまえば有利もクソもあったものではないのだ。そもそもおつむor感性の程度が足りない子供でも理解できるストーリーなんてもので歴史が動いてきたとはとうてい思えない。歴史は常に勝者の歴史である。敗者は「鬼」にされ、たとえその時に極悪非道を成したものでも勝者となり、その権力を何世代に渡って継続させれば「名家」となるのが人の世である。ましてや国際間の政治の世界では、常識的な見方では理解できない事実が多く存在する。アメリカの歴史などはまさにヤラセの歴史であり、捏造こそがアメリカのお家芸なのだ。真珠湾しかり、月着陸しかり、911しかりである。これらの影に潜む巨悪の存在が歴史の事実を、国際政治の真の姿を広く、深く、覆い隠していることが露呈されてきつつある。真のストーリーなどは歴史学者にも解らないほど隠蔽されてしまっているのが現実なのだ。
よしりんの戦争論に対して様々な人が批判を展開している。「戦争論 妄想論:教育資料出版会」は8名の知識人による共著でよしりんの戦争論を批判している。まえがきにて「彼ら(ゴーマニスト)の多くはこれまでの批判によって、なお、ゴーマニズムの呪縛から解き放たれてはいない。」とし、「戦争論の対抗軸たるべき平和論を表明すべき」であると述べられているのだが、宮台真司、姜尚中、中西新太郎、梅野正信などのアカデニズムの世界で仕事をしている方々の文章は非常に解りづらい。こんな文章をよしりんに惹かれる若者が理解し得るとはとても思えない。それに対して水木しげるや石坂啓などの漫画はとてもリアリティに溢れ、説得力がある。水木しげるの漫画には、戦争当時の鳥取県境港市でのご両親の会話から始まっている。「(新聞を読みながら父)ははは、日本はやりますね。」「(母)ほんとに気持ちがいいです。」スキャナーがなく、絵をお見せできないのが残念なのだが、こんな会話が戦争中にされていたということに驚かされた。私の父は中国に出征していたのだが結核で除隊になり、昭和16年には帰国している。両親から聞かされた戦争の話というのは大阪空襲の恐ろしさだけであったので、こういう会話が存在したということ自体にショックを受けた。まるでオリンピックで日本がメダルラッシュにわいているかの如き感想である。私はこういう田舎の人間にありがちな愚鈍さを憎む。それは「新しい歴史教科書」をよしとする人間と同じく、殺され、傷を受けた側に対する想像力が完全に欠如しているのだ。
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