友人からその友人がmixiに書いている日記を紹介された。私はその人と実際に会ったことがある。ブログも時々読むがまったく心に響くものがない。
一方、インターネットのサヨクの方々によると闇の勢力がアメリカも日本も牛耳っているらしい。しかし、冷静に考えてみると、世界をことごとくコントロールできる人間などいやしない。
どんな権力者でも人の心を全部は読めない。例え、ある陰謀が成功してもそれにより全く違う前提の世界が生まれることの方が多い。それにより、そいつ自身が打倒されることもある。
ひとつの勢力だけで世界をコントロールできるならとっくに多くの人が一国レベルくらいで革命を起こせる。おっとそうなると、天下大乱になるわーい(嬉しい顔)やはりもとの前提=ひとつの勢力だけで世界を動かせる、は間違いなのだ。
呆れた文章である。正しいとか間違いとかの問題ではない。歴史的事実をどう捉えるかの問題である。東大を卒業した人間でまともだと思う人間は「もやい」の湯浅誠さんくらいである。自分の勉強した文部省ご用達の知識だけで物事を判断していて、それで正しいと思っているのだから、単に自分の願望を述べているにすぎない。エリート意識がどこかにあるから自分の考え以外は見下すという性癖が身に付いてしまっている。まさに官僚的態度だ。私なんかは西のトウダイ(桃大=桃山学院大学)の卒業で、有名人の先輩と言えば谷村新司さんのみで、後輩と言えば森脇健二さんくらいである。でも教授陣には亡き小田実さんや鶴見俊輔さん、今は「9条改憲阻止の会」の代表として第一線で頑張っておられる小川登先生、そして極めつけは我が恩師で媒酌までやっていただいた山口光朔先生などリベラルな先生方が多かった。ゼミではマルクスの「経済学哲学草稿」の英語版やエーリッヒ・フロムの「希望の革命」の英語版などがテキストだった。すでに日本語のそれらを高校時代に読んでいた私としてはとても興味を持つことができる内容だったのです。補足であるが今どきサヨクとかウヨクなんてなんの意味もありません。確実に存在するのは売国奴と愛国者だけです。靖国神社で愛国者ぶっているのは本人に自覚がなくとも売国奴であると断言します。
共産党シンパの平和主義者の集まりに行くとわたしなんかが気持ちが悪くなる歌を唱われている。高校生の頃、共産党の下部組織である民主青年同盟(通称民青、民コロとも呼ばれていた)もフォークギターを持ってなにやら気持ち悪い歌を唱っておりました。(と言いつつも近々、東京新聞を止めて赤旗を購読するつもりです。)今、思うにこの人たちは人間として素朴でいい人なのかもしれないが、「戦争」や「平和」というものが解っていないように思うのです。どうも「戦争」というものを喧嘩の延長としか理解していないように思えるのです。
http://www.nagaitosiya.com/b/war.htmlより引用 戦争の原因をどう認識するかは、戦争の防止策にも違いをもたらす。平和論者の中には「民族・人種・宗教・イデオロギーの対立から戦争が起きる」というユニフォーム原因論に基づいて、「自分と異なる価値を理解する多元的価値観を持ちなさい」、「国際交流を通じて相互理解を深めなさい」、「かつて戦争した民族と同じ歴史認識を共有しなさい」としたり顔でお説教を垂れる人がいるが、このような方法で戦争がなくなるわけがない。実際、日本のような民族・人種・宗教・イデオロギーの対立がほとんどない島国の内部でも、有史以来多くの戦争が起きたではないか。(中略)
戦争は合理的な経済の法則に従って起きる。だからといって、私は、日本はデフレから脱出するために戦争をするべきだと主張しているわけではない。デフレから脱却するには、もっと弊害のない平和的な方法がある。
何故、このテーマを記事に選んだかというとご紹介した林秀彦「日本人はこうして奴隷になった」の中に素晴らしい文章を発見したからなのです。少し長いですが以下引用させていただきます。
P146〜P147 その典型的な例として、三十代の男性教員との取材の模様を書いておく。 まず私は、決して議論を吹きかけているのではなく、質問をしているのだと、何度となく強調しておいた。しかし彼はすぐ顔を高潮させ、目に険を持たせ、自分が言葉に詰まるたびに私に食って掛かった。 「あなたの教育の理念を教えてください。あなたは個人的に、子供たちに特にどういうことを一番教えたいと日ごろ考えていますか?」 彼の目が左右に激しく動いた。 「いや、そんな難しく考えなくてもいい」と私は言い直した。「あなたはこれからの日本人に、特に、何を知ってもらいたいと思っていますか?」 「平和と人権です」 バカアァァァー・それが教えられるというのなら、中学生に教える前に私に教えてほしい。 一体平和とは何なのか、人権とは何なのか。どういう言葉でそれを教えるのだ? 知性とは単語を知っているということではない。その意味を知っているということだ。平和にしろ人権にしろ、言葉は誰でも言える。日本人の愚かさは、言葉の乱用だ。無知とは言葉が内包する深みに対して不感症であることだ。「平和を教える」などという言葉は言葉になっていないのである。
特に平和と戦争に関して、日本人は無知すぎる。言葉の意味が浅薄すぎる。経験がなさ過ぎる。約五千年の歴史で、世界は一万六千回戦争をしているというのは通説だが、これに対する実感など、日本人にはまるでない。その中の五回程度しか経験していないし、それも真実を教えないから知らないのも同然だし、忘れ果てている。戦争を知らずに平和は教えられまい。孫子を読み、マキアヴュリを読み、多くの戦記物を読み、世界歴史を読み、十字軍を知り、クラウゼヴイツツを読み、現在の世界情勢を知り、現在ただ今アメリカが一分間に(繰り返す、一分間に)100万ドル(1億円)の軍事費を使っていることを知り、戦争とはビジネスであり、故に平和もビジネスだという根本を熟知すること、それがまず先決なのだ。 もし子供たちに平和を説きたいのならば、その前に説かなければならないことは山はどある。特に現在の世界というものの仕組みを、詳しく説明しなくてはならないだろう。もちろん9・11の真相は何よりも真っ先に教え、多くのDVDを見せなくてはなるまい。また先回のアメリカの大統領選挙で、フロリダ州でどのような悪行がまかり通ったかを教えねばなるまい。
日本だけが世界でないことを、とくと子供たちに叩き込み、日本人以外の人類がどういうものであり、アフリカではどんな悲惨な日常が繰り返されているかを教え、どれほど日本人と異なった民族が多いかを教えねばならない。 平和を教えるなど、その先の先の先、大人になって自分で考えるべきだ。 平和と人権ほど教えにくいものはないのだ。 明治以前、この国には「平和」などという言葉はなかった。無論「人権」などあろうはずもない。輸入造語した後でも、平和とは戦争の反対語程度の理解しかない。だから戦争がなければ平和だと思う。では戦争のない状態をどのように子供に教えるのか。今の日本に戦争がないとでも思っているのか。
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